苦羅苦羅★糸奇羅奇羅

慈愛に満ちた曠日

サンタクロース試験合格全集

冷たく凍える季節とは一転、町は光に彩られ、暖かみのある暖色の明かりに包まれている______

こんばんは、聖なる夜を共にお送りさせていただきます、パーソナリティーの黒猫でございます。

今晩はクリスマス、ということで、クリスマスにちなんだお話を、時間の許す限りお話しさせていただきます、最後までお付き合い、よろしくお願いいたします。

 

クリスマス、わたくしも小さい頃、よくサンタクロースに「何々が欲しいです。」だなんてお手紙を書いたりしたことがありました。今思い返すと小さい子供がサンタクロースにお願いするものとしてはちょっと変わったものを頼んでいた記憶があります。それが、あのロックバンドGLAYのDVD。それが欲しいと、何度サンタ(母)にお願いしたのか、結局は届いたのですが、ほかのおもちゃも一緒に届いていました。流石に当時5,6歳の女の子がクリスマスプレゼントで、DVDだけ、というのも気が引けたのか、それともサンタも丁度欲しいものだったのか、これは深堀しないでおきましょう。

ところで、わたくしの通っていた幼稚園はカトリックの幼稚園でしたので、毎年クリスマスの時期になると、毎朝きちんとしたお祈り→ろうそくに火を着ける(これがとてもわくわくしました)→よい子ちゃんシール という、いつもとちょっとだけ違う毎日がとても楽しかったのをなんとなく、覚えております。

お遊戯会も毎年クリスマスの時期に行われていたので、毎日お遊戯の練習で、その合間に同級生(と言い表すのが正解でしょうか)と体育館?のようなところでお昼ご飯。そのお昼ご飯の時に流れていた映像がとても印象的で、10年以上経った今でも、大体の内容は覚えております。

その内容とは、カトリックの教えに基づいて作られたのであろう、サンタクロースのお話でした。

サンタクロースは、恵まれない子どもたち、所謂貧しい育ちの子どもや、病気の子どもなどに、パンやろうそくなどを渡し、少しでも子どもたちが幸せになれるように、そういったものをプレゼントしている。という内容であった気がします。如何せん10年以上前の記憶なので、これが貧しい子どもなのかも確信が付きませんし、本当にパンを配っていたのかもわかりません。

当時のわたくしとしてはとても簡単な内容ですが、今となってはとても重苦しいお話だと思ってしまいます。

恵まれない子どもたちが、少しでも幸せになれば、いい思いができれば。そういう願いや思いが込められて、サンタクロースなんてひげのオジサンは存在するのだ、と考えると、サンタクロース様はとても慈悲深くて、ああ、わたくしもサンタクロースのように慈悲深く、困る者に手を差し伸べられたらどれだけ素敵なのでしょう。と考えてしまいます。

マァ、わたくしは黒猫なので、サンタクロース様ではなく魔女様にしかお仕えすることができないのですよね、トホホ...

 

そろそろお時間となりました、本日はいかがでしたでしょうか、サンタクロース、今になって思い返してみると、大人の見本のような、子どもにやさしいオジサンですね、そういうヒトにわたくしもやはり、なりたいものです。

それではまた、来年の聖なる夜にお会いいたしましょう、パーソナリティーは黒猫でお送りいたしました。メリークリスマス。

応援全集

今まで十数年生きてきて、何か具体的な意思や目標を持ち、何かを成し遂げようと、葛藤や努力をした記憶が一切ない。

それが悪しき事とは全く思ってもおらず、だが、葛藤や努力をする者が善しとしてもいない。

何か一つの事に夢中になって、必死になって、夢など諸々を追いかけている者の姿を目にすると、まさに、きらきらくらくら眩暈がし、あゝそういふものにわたしはなりたかった。などと観念深くなってしまうのだ。

 

同世代の活躍を見て、嫉妬心で云っているのかは分からないが、批判だの、冷笑している者を見ていると、なんだか悲しくなるものである。そういうものを素直に感心できない者は、一生誰からも感心されないのだ。多分。

 

努力するあなたは美しい!素晴らしい!等の応援歌的なSONGがあるが、私はそういうSONGはあまり得意としない。最初から分かりきっている事を何度も言うものではない。

努力はきっと報われる!のようなSONGはハッキリ言って嫌いだ。

勘違いを防ぐために記しておくが、何かを激動するものは嫌いではない。

 

不特定の誰かから感心されたい等と、思ってなんかいないと考えているが、実際脳みそのどこかで、少しはそういう欲求があるのだろう。素直になれないのも人間らしさの一つだ。

健康ッ!健康ッ!全集

一週間に二回以上階段から落ちることがある。

気が付いたら、特に何かした覚えはないのに、手が切り傷まみれになっていることもある。(本当に何故)

雪道(雪道なのが悪いが)で盛大にすっ転ぶ、滑る車(滑る路が悪い)に轢かれそうになる。

 

人並み以上に原因不明の怪我をし創傷しがちであるが、長生きはしたいと思っている。長生きと言っても、永生したいだの、天寿を全うしたいだの、そこまでは望んでいないが、身内の骨は拾い、知人の骨も拾う気である。

 

壱日壱萬歩ハ健康といわれているのだから、壱日壱萬歩歩くように心掛けている。

だが、腹八分目まで飯は食わない、本当に飯が旨いと感じるのは、腹六分目だ。一汁三菜。

今までかなりの医者の世話になってきた者であるから、もう病院には行きたくないし、なんなら医者と会話ができないし(コミュニケーションに難ありという訳ではない)医者の言うことが正直本当のことなのかも怪しい時があるから、独自の健康方針で生きていこうと一時的に思っていると、ここに記録しておく。(己の健康は己で決めるべし!)

 

人生は平穏を望むべき、という思想と、人生は混沌と破滅じゃ!という思想がある気がする。

私の場合は後者であるに違いないが、後者のようでありながら、健康でいたいだのと思っている。

 

要は何が言いたいかと問われると、自分は優柔不断であるということだけだ。